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May 26, 2006

続・三島忌の

攝津幸彦、角川春樹の二人による「三島忌」の句について、細見さんという方がBlogにとりあげてくださっている。

春樹作品の存在を簡単に否定し去ることはできないと思う。
ただ、攝津作品をまるで「無かったもの」のようにして発表されたことが、意図はどうあれ納得できなかった。
攝津幸彦の作品が先行して存在するという事実を書いておくことが、どうしても必要であった。
それが、私があえてあのような形で両句を並べたことの動機である。

誤解の無いように書いておくが、私は作品のパラフレーズを試みたわけではないし、それが可能であるとも思っていない。
私個人が二つの句をどのように体験したかを、なんとか言葉にしようと試みたのであって、それが唯一の解釈だと主張するつもりはまったく無い。

私は攝津作品に限らず、すべての俳句作品はもっと読まれるべきだと思っている。
多くの人に読まれ、多様な読者の体験が語られることによって、作品は発表後も変化し続けるはずである。

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May 09, 2006

三島忌の

三島忌の帽子の中のうどんかな 攝津幸彦 『鳥屋』(昭和六十一年刊)

帽子の中にあるべきものは人間の頭であるが、この句ではあろうことか「うどん」が入っているという。
帽子は黒いシルクハットだろうか。
そのなかに真っ白で、つるりとした、或る太さの麺が渦巻いている。湯気を立てているかもしれない。
僕には、このうどんの姿と質感が、人間の脳みそに似ているように思えるのだ。
脳みそが入っているべきところに、脳みそに似て非なる物体が詰め込まれている。そのユーモラスさ。
そこへ三島由紀夫の忌日がかさねあわせられている。
その日、市ヶ谷駐屯地に乗り込んで自衛隊を煽動し、果たせず割腹した作家。
彼を介錯した青年は、数回失敗したあげく、首を落とす前に刀が曲がってしまったという。
もうひとりの青年によって落とされた三島の首、
そこに詰まっている脳は、かつて稀有なる美と強度を持った作品を、数多産み出したものである。
しかし、それもやがて「うどん」とさしてかわらぬ物体に変容する・・・・・・のだろうか。
死のなまぬるい感触が伝わって来て、慄然とさせられる。


三島忌の帽子の中の虚空かな 角川春樹 「河」平成十八年四月号

上記の句と、表面上の著しい類似が認められるのだが、それをあえて追求することはしない。
帽子の中にあるのは虚空だという。
空ではなく「虚空」と飾り付けることで、形而上学的な雰囲気を漂わせる。
そこにはブラックユーモアへと転ずる要素もなく、触れてくる死もなく、
不在者への哀悼と賛美を感じ取ることができるばかりである。

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